「継続はカナリ面倒」
昔、バイト先で流行っていた言葉です。
やったこと
- イベント絵
- 本塗り - 3.5h
- 背景や小物整頓 - 1h
- 今回は、久しぶりにラフ画をそのまま線画に使う塗りをやってみた。すごくいい感じ。またこの塗りでやりたい。
- スチル絵
- ラフ - 1h
コメント
この日報も、今日、明日、明後日のあと3回。
特に明日と明後日は自宅にいないので書く時間を設けるのはなかなか大変ですが、書くと決めましたし、2023年の大晦日に日記を書く機会なんて今しかないので、記念にやろうと思います。
この日報を続けることで、絵が上手くなったり、ゲームが良くなったり、文章が上手くなったり……ということはないんですけど、そもそもとして、今日まで(0時を超えるような日がありつつも)毎日日報を投稿できていること自体が我ながらすごいなと思っています。多分、二年前とかなら無理でした。
継続は面倒です。
いくら、日報のこのコメントを書くのが楽しいとか、読んでくれるのが嬉しいとか思っていても、その熱を持続できるかは別問題です。三日坊主、なんて言葉があるくらいですし。
ただ、ここ三年間で小説の定期投稿や、絵に挑戦するなどをしたことで、継続するという力が身についたように感じています。個人的にはこの、何かを継続する能力のことを『継続筋』と呼んでいます。造語ですが。
ぶっちゃけ、継続が必ずしも正しいとは思わないですし、有益とも限らないです。
「毎日、社訓を読み上げよう」という朝の習慣みたいに、フツーに無駄なやつもありますし! ……なんて言ったら、怒られるかな。
何かをやろうとして三日坊主になったとしたら、それは「三日で飽きる程度の価値しかなかった」と割り切ってしまうのもありかなぁと思っています。お風呂とか、歯磨きとかみたいに、それそのものに面白みを感じていなくても、必要不可欠だったら否が応でも続くので。
とはいえ。
「自分は継続しようと思えば継続できる」というイメージが持てることは大事だと思います。続けた方がいいに決まっていることでも、不健康だったり、気力がなかったり、それを続ける環境がなかったりすると、続けられないです。
「こうすれば必ず続けられる」という方法を探し、続けられなかったら「なぜ続けられなかったのか」を考える習慣が身についていれば、いつか何かを始めたいと思った時に役立ちますね。
話がどんどん脱線しますが。
個人的に、ゲームでも絵でも遊びでもなんでもいいので、『ガチ』で一年以上それに打ち込んだ経験がある人って、何事においても強くなる素質を持っているような気がします。
例えば、ポケモン。
ポケモンのランク戦でランキング1位になろうと必死で一年間を過ごしたことがある人は、全く別のゲーム(スマブラとか将棋とか)で強くなろうとしたときも、成長が早いイメージです。「どういう情報を集め、どういう風に鍛錬し、自分はどういう風に自己管理すべきか」ということがある程度身についているからです。
私自身、昔はとあるゲームで日本トップクラスのプレイヤーになることを目指していました。今はそのゲームから身を引いていますが、それでもその頃に培った考え方や精神力は今でも活きています。その時に出会った人から教えてもらった考え方も、今の私の武器でしょうし。
……と、話は逸れましたが。
「継続はカナリ面倒」
それは間違いないですが、一方で、「継続は力なり」っていうのも、間違いなぁと思います。